小さい頃はよく母親に叱られては
泣きながら草牟田のおじいちゃん家に行ったもんだ。
おじいちゃんと言っても草牟田のおじいちゃんは血の繋がったおじいちゃんではない。
その頃はよく意味が分からんかったのだけど、
そのおじいちゃんは父親の高校時代の下宿先のおやっさんだったらしい。
実のおじいちゃん家はちょっと離れたところにあってなかなか会えなかったから、
当時のわたしにとっては近くにいる方の本当のおじいちゃんって存在だったのが
草牟田のおじいちゃんだった。
わたしの住んでいた城西から草牟田まで歩いてゆくということは
その頃のわたしにとってはちょっとした冒険の距離だった。
交通量の多い道路を通って…甲突川の橋を渡って…
「あたしが死んじゃったらお母さんのせいなんだかんねっ!」って思いながら、
でもなんか恐くなってきてワーワー泣き叫びながら、よく1人で歩いてったもんだった。
でもおじいちゃん家に着いたらば
「あらあらいらっしゃい1人でよく来たね〜」って
満面の笑みでおじいちゃんが優しく迎えてくれるもんだから
叱られたことも恐かったことも全部忘れちゃうんだ。
お菓子もらって甲突川に連れてってもらってお散歩して。
おじいちゃんに沢山遊んでもらって愉しくって仕方がなかった。
で、夕方になるとおじいちゃんが「そろそろお家に帰らんとな〜」って言いだして
そこでわたしは今日母親に叱られていたことを思い出すのだ。
「そうかぁ、また叱られたのね〜可哀想にねぇ〜
よし!じゃあおじいちゃんも一緒に帰って謝ってあげよう!それなら大丈夫だが!」
内心、そんなんじゃあの鬼婆は絶対収まらんよ…と思ってはいたけれど、
おじいちゃんがいてくれれば1人で帰るよりは随分と心強かったから
わたしは結局一緒に帰ることをいつもしぶしぶ了承するのだった。
そしておじいちゃんはママチャリの後ろにわたしを乗っけて
わたしが勇気を出して1人歩いてきた道をスイスイ逆走していく。
わけ解らん歌を歌いながら不安なわたしの気持ちを溶かすように
それはそれは愉しげにわたしを乗せて家まで連れてってくれたもんだった。
そんな日はいつも夕暮れの風が心地よかった。
家のベルを押すと案の定、鬼婆が出てきた。
だけど一緒に来たおじいちゃんの姿を見るやいなや鬼婆の態度は一変した。
「お母さんに叱られて帰れんっちゅ〜もんだからね〜、
いっぱい反省してるみたいだからもう叱らんであげてね、節子さん」
その時の鬼婆の恥ずかしそうな顔ったら今でも忘れられやしない。
わたしは心の中で勝利を祝った。
ま、でも結局はおじいちゃんが帰ったらまた叱られるハメになったから
しばしの間だけの余韻ではあったけどね。
さっき空を見ていたら
草牟田のおじいちゃんのことを思い出したよ。
そうだ!
7月鹿児島に帰ったらお土産でも持って
草牟田のおじいちゃんとこまで遊び行こう!
ありがとうと今のわたしを伝えに行こう!
そして何よりおじいちゃんの元気な姿を見に行くとしよう!
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